空港から何十時間もの間、でこぼこ道をトラックに揺られ農村地を巡りました。途中、トイレに行きたくても日本のような休憩所はありません。道の茂みで隠れてしようにも、地雷が埋まっているかもしれないのでそれもできません。日本で当たり前にできることがこちらではそうはいきません。
さらに私が帰国した後、トラックが対戦車地雷を踏み、運転手以外の乗客全員が死亡するという悲惨な事故が起きていたのです。
地雷による被害を身近に感じ、その恐ろしさを実感しました。
写真はカンボジアでの道中にて。
今回の旅も一般的な旅行者向けではなく、現地のかたのように食事をしていました。都市と違い、農村部ではガスもないので、今も炭で調理します。
また水道もないので、雨季の間にためた川や雨水をカメに貯め、それを利用します。場所によっては、離れたところにある川や、大きな水たまりまで歩いて水を汲みに行かなくてはいけません。子どもが水を汲みに行くために学校にも通えない、ということも珍しくありません。日本のように処理された透明な水ではなく、半濁したり、色のついた水、泥の混じった水が当たり前なのです。もちろん不衛生のため、赤ん坊が病気や死にいたる原因にもなります。
ちなみにわたしはなんでも食べられるほうなので、気軽に現地で食事をしていたのですが、帰国後、ナゾの腹痛で2週間ほど苦しみました。しかし、現地のかたは本当に気さくでカンボジアが大好きになりました。
カンボジアの農村部では、日本の子どものようにオモチャはありません。
野原でみかけた男の子と女の子は勇ましく取っ組み合いをしてげらげら笑っていました。わたしも4人姉妹なので、小さいころを思い出しました。オモチャがあるから、楽しいわけじゃないですよね。だけど、鉛筆や紙も不足しがちなので、地面に砂をひいてお絵かきをするために砂を拾いに行って地雷被害にあってしまった子どももいると聞いてすごく悲しくなりました。
また市場では、オモチャを盗んだ罪で顔写真がはりだされていたり・・・。
取っ組み合いをして遊んでいたふたり。
カメラを向けると、仲良く肩をくんでポーズ!
カンボジアでは親の手伝いや家事、働くために、学校に通い続けることのできる子どもが多くはありません。
そのため母国語であるクメール語が喋れても、読み書きはできない場合が多いのです。つまり将来の就労でも、読み書きのできる場合とそうでない場合が大きな差になり、学校に通えない家庭に生まれた子どもが収入のよい仕事に就きづらくなっているのです。
わたしが知り合ったカンボジア人の女性も22歳で読み書きができませんでした。クメール語の本を私が読み、彼女の発音を一生懸命聞きとり会話をしました。彼女は二児の母でもあり、祖母も含む家族を養うために働いていました。カンボジアの主な商業は農業ですが、天候に左右されるため、男性よりも女性が農業以外の仕事(時には売春も)で収入を得、家族を養うことが珍しくないのです。カンボジアも日本と同じ義務教育です。しかし親の収入が安定しないために、子どもが学校に行くよりも働かなくてはいけない状況が起きてしまうのです。
カンボジアのかたがたは甘いもの好きが多い気がします。
よく甘いものを食べます。
しかし、歯磨きの習慣があまり浸透していないうえに、歯ブラシという物資が乏しいため、歯磨きをしたことのない子どももザラです。
そのため子どもでも、ニッコリ笑ったときに永久歯が虫歯でナイ、ことも多いです。おじいちゃん、おばあちゃんの場合、本当に前歯が全くナイことも。
歯がなくても彼らの笑顔はとても素敵ですが、やはり歯磨きは彼らにも必要ですよね。金銭的な問題と物資的な問題なので、どうしたらいいのか・・・と考えています。
すぐそばには「地雷注意」の看板と有刺鉄線による囲いが。
内戦が長く続いたカンボジアでは敵の侵入を阻むため多数の地雷が埋められました。内戦が終わった現在も処理をするにはお金と時間がかかるため、多くの地雷が埋められたままにされています。
地雷注意のクメール語が読めず、被害にあう場合もあります。
また地雷の恐ろしいところは、敵を殺すのではなく、長期にわたって苦しめ、治療に手間と時間、人員をつかわせるために作られているところです。
そのため、被害者は地雷によって脚や腕をもがれ、吹き上げる砂や砂利によって失明をしたり、多大な傷を負うことになります。
地雷被害によって職を失い、生きていくことに絶望し、自ら命を絶つ場合も増えています。また子どもが地雷被害にあい、育て事ができなくなった親から孤児院に置き去りにされるというケースもあるそうです。
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